豊岡市 / 平成16年台風第23号

問題点・教訓

本部の設営・運営
旧豊岡市
  • 本部の体制、役割が不明確で、組織の統制、機能に問題があった。
    • 本部会議の位置づけが明確になっておらず、本部と班の動きにずれがあったように思う。
    • 警戒本部員の構成が明文化されておらず、漫然としたイメージを各自が持っているに過ぎなかった。
    • 職員は現場に行ったら、行きっ放しになった。
旧城崎町
  • 経験をふまえて早めに本部を設置した。
    • 指揮は本部直轄で、班長に指示を出した。水が引いた後は、各班長の判断で指揮をとった。
    • 水が引いた後の対応としては、ゴミ対策、観光客の帰宅支援、国道へのアクセスルートの把握、家屋調査が課題となった。
    • 災害対策本部閉鎖の際には災害警戒本部にレベル下げされる形ではなく災害対策本部から人数が縮小される形での閉鎖となった。
旧竹野町
  • 経験をふまえて、早めに対応した。
    • 台風21号など事前の台風を踏まえて早めに対応し、体制をととのえた。
    • 停電したら有線放送は使用できないため、地区内の有線放送(防災行政無線はない)で一斉放送を行った。
旧日高町
  • 経験をふまえて、早くから警戒していた。
    • 前々日より、台風情報があり、被害が予測されたため、インターネット等を見ながら警戒に当たっていた。
    • 自主的に警戒本部を設置し対応した。情報収集が主な任務であり、国土交通省のホームページで雨量、水位を確認していた。台風21号の経験でトレーニングしていた。
  • 防災資器材等の準備が遅れ、確保が困難であった。
    • 警戒本部の段階で、早めに防災資材の準備等を周知する必要があった。
    • 作業着や長靴の常備、職員の食事の手配等も考慮する必要があった。
    • 現場車両の確保が困難であった。
  • 現場で役所職員であることが分かるよう腕章を着用していたことが有効だった。
旧出石町
  • 町長が自ら現場の巡視等を行い、本部設置等を判断した。
  • 庁舎の非常電源の容量が不足していた。
    • 庁舎の非常電源はOA機器の電力を想定していなかったため、切り替え後は明かりを蝋燭でとった。
  • 行政、住民、企業が連携し、災害対策が円滑に進んだ。
    • 被災地区の状況は、住民→区長→管理職→本部の系統で収集した。このことが、廃棄物処理、ボランティア活動に役立った。
    • 本部会議は毎日行い、管理職が持ち帰った情報をもとに、翌日の対策、ボランティアの割り振り等を検討した。このとき、隣室に控える建設業協会に随時結果を伝え、翌日のトラックや作業員の手配、配置等が検討された。

被害調査
旧城崎町
  • 当初の被害家屋調査が災害支援制度に対応しておらず、二度手間となることがあった。
    • 国や県の災害支援制度を活用することとなったが、この制度の適用を受けるために同様な対応の処理を2回対応することとなったため手間となった。
  • 家屋の特性によって、判定が困難なものがあり、建築の専門家への二次調査の委託は有効であった。
    • 建築物の新しい古いによって設計が異なるため、浸水の床上下のバラツキが多い結果となった。また、住戸の判定の際には、専用住宅なのか、併用住宅なのかの判定が困難となった。
    • 家屋調査の判定結果に対しては、住民からの不満が多かったが、二次調査は建築設計事務所等の専門家へ委託したため効果的であった。判定結果に対する苦情の例としては、浸水深さが50㎝か100㎝か、高いか低いなどの隣接部の整合が指摘されるケースが多かったので、大ざっぱな判定をした方が良いと感じた。

水防活動
旧城崎町
  • 内水氾濫の発生が早く、配水作業を優先した。
    • 円山川本川が通常に流れていた時点で、既に支川では内水氾濫が始まっていた。支川の内水氾濫の対応を的確に行うことと、上流部の情報を早期に把握することが課題となった。
    • 円山川本川については活動せず、内水氾濫した支川の水を本線へ流すという対応のみを行った。
旧竹野町
  • 過去の災害の経験により、水防資器材を分散配置していた。
    • 過去の台風の経験から、土のう袋、土はあらかじめ消防団車庫等5拠点に配布した。

情報収集・伝達
旧豊岡市
  • 市職員が気象状況を予測することは困難であった。
    • 午前中の情報はインターネットや県フェニックスで十分であった。しかし、それ以降の天候の変化は早く、天気図から職員が予想し判断することは難しかった。
    • 台風23号が来る前にいくつかの台風が無事に過ぎて行ったことで、危機感が薄れていた。
  • 防災担当部局は、市民からの電話やマスコミ対応に追われ、情報の整理等は手が回らなかった。
    • 市民からの電話が殺到し、数名が対応に追われた。
    • 聞いた情報は記録し、近くの職員にすぐ指示した。
    • 細かな対応は順次パソコンに記録し、職員が共有できるようにした。
    • マスコミ対応は、防災計画では広報班があたることとされていたが、防災部局が対応していた。
    • 3日後から朝晩2回のプレス発表としたが、個別の対応を強いられた。
    • 地図は用意していたが、情報を整理するようなことまではできなかった。
    • 外出していた区長の場合、(区長向けの)防災行政無線の放送内容が伝わらなかった。
  • 家屋被害調査にあたって、現地調査の手順や方法は、被災者の感情に配慮した。
    • 市民が掃除しているところに、我々が何㎝程度浸水と調査すると市民感情にふれるので、配慮が必要であった。
    • 調査時に防災無線放送の原稿(ボランティア、物資、相談窓口情報)をコピーして配布した。また、市への不満、注文等を受け付けて伝言メモとして記録し、担当課に回した。
  • 途中で被害家屋の判定基準が緩和されたことから、再度の調査が必要となった。
    • 生活再建支援金の支給にかかる二次調査(被害家屋認定調査)の存在を把握していなかった。
旧竹野町
  • 携帯電話の通信エリアが限られるため、停電により電話連絡が不能となることがあった。
    • 消防団内での連絡が困難だった。
    • 区長へは固定電話による伝達。停電で電話連絡が不能となると、区長の携帯電話は不明のため、連絡が不能となることがあった。
  • 被害家屋調査の判定基準が不明確な場面があった。
旧日高町
  • 情報整理や道路パトロールの要員、車両が不足した。
  • 移動系防災無線が有効だった。
旧出石町
  • 災害の全体像がよく把握できず、内容確認にも手間取った。
  • 町長の強い要請で、携帯電話基地局の早期復旧が実現した。
    • 携帯電話は、かなり有効な情報の収集・伝達手段であるが、停電により中継局のアンテナが機能しなくなるため発電機能が必要。
旧但東町
  • 道路や電線等の被害により、停電、電話不通等が発生した。
    • 有線放送での伝達(各戸にスピーカー設置済)を試みたが停電のため使えなかった。
    • 役場も停電したため、有線放送も使えない状態であった。役場に自家発電機能はなかった。携帯電話のバッテリー切れなどには、県フェニックスの自家発電機を利用した。
    • 現在は公民館から有線を使えるが、当時は役場からしか発信できなかった。停電時の情報収集は、県フェニックスと電話から入手した。
  • 携帯電話もバッテリー切れ等で利用不能となった。
  • 区長の協力を得て被害家屋調査が行われた。また、被災家屋調査と併せて物資や心のケアについての調査も行われた。

交通対策
旧日高町
  • 過去の経験から道路冠水箇所の通行規制を早めに行ったが、無視して通行する車両があった。
    • 台風21号で交通規制するしくみを作った際、全面通行止めは困ると住民より要請があり、片側規制とした。
    • 台風23号では昼過ぎに通行止めを判断したが、特に大型トラック等が市の職員を無視することがあった。
旧但東町
  • 道路、有線が寸断し、完全に孤立する地区が発生した。
    • 道路寸断、停電、電話不通で孤立した。
    • 冠水、土砂災害により国道は不通であった。
旧竹野町
  • 土砂災害の多発により、幹線道路の通行止めが多数発生し、町が国・県道の応急措置を行った。

避難対策
旧豊岡市
  • 避難勧告の判断にあたって、的確な情報収集、勧告前の対応が不十分であった。
  • 洪水を想定した避難所指定、運営について、住民との合意形成が不十分であった。
  • 避難所への派遣職員が不足したほか、避難所に行くことが危険な場面もあった。
    • 避難所に職員を派遣すること自体が危険なこともあった。
    • 任意に避難している施設に職員を派遣する余裕はなく、自治会やボランティアにより運営された。
    • 避難所の数が多くなると女性1人を派遣する避難所もあった。
    • 図書館職員等も避難所に派遣されたが、嘱託の職員は十分対応できる体制でなかった。
  • 県の応援職員による避難所運営支援は効果的であった。
旧城崎町
  • 避難勧告の意味が住民に認知されていなかった。
  • 避難勧告を出した時には、既に避難できない地区があった。
    • 避難勧告の段階で、川沿い等では既に避難できない状態であった。また、小・中学校を避難所に指定したが、避難路が冠水したり、小学校の停電等が発生した。
    • 水位の上昇による避難の判断がつかなかった。
  • 旅館同士の協力により観光客の避難誘導が行われ、旅館側の判断で、浸水した宿から別の宿へと避難してもらった。
  • 水害を想定した避難場所を指定していなかった。
    • 役場が浸水で孤立したため避難施設である学校に毛布等の避難用具が運べなかった。
旧竹野町
  • 避難所が危険になる場面、避難所に入所した帰宅困難者もあった。
    • 一次避難所が浸水して、二次避難所に移動したケースがあった。
    • 帰宅困難者、旅行者が道路不通で足止めされ、避難所に入所した。帰宅困難者については想定していなかった。
  • 避難所に備蓄品を搬送する手段がなかった
    • 避難者がいる場所は、食料を提供したが、遅れたケースもあった。
    • 毛布等の備蓄は確保されていたが、搬送手段がなかった。
旧日高町
  • 早くから避難の呼びかけを行ったが、避難勧告に応じた避難所の開設が間に合わないこともあった。
  • 避難所では、避難者の親族の宿泊、食事メニューへの不満等があった。
    • 被災者の親族が避難所に一緒に泊まったこと、退所後もライフラインの停止等で自炊不可能な住民が避難所に食事を取にくることが想定外だった。
    • 同じメニューやパン等が継続すると不平不満がでた。
    • 資材ストックが足りない、資材を取に行く手段がない等の問題があった。
旧出石町
  • 町長自ら現場の異常を確認し、避難勧告を判断した。
旧但東町
  • 町内各地で土砂災害が多発したが、土砂災害による死者・負傷者はなかった。
  • 避難所が危なくなることもあった。

救助・救急・医療対策
旧豊岡市
  • 洪水時の救助資機材が不足していた。
    • 消防団や市職員はライフジャケットが無かったほか、消防職員も人数分は無かった。
    • ボートが少なかった。
  • 住民でつくる自主防災組織の役割は大きかった。
  • 災害特有の心身のケアのため、様々な対策を講じた。
    • 片付けに伴う外傷や、排泄の我慢等による循環器障害等が多かった。
    • 風邪の予防で、うがい薬(イソジン)、消毒薬(ウェルパス)を配備した。
    • 保健センターが巡回訪問時に、乳幼児を抱えている家庭に粉ミルクを配布した。
    • PTSD(心のケア)対策に、県の心のケアセンタースタッフが翌年2月まで派遣された。
旧城崎町
  • 浸水により救急搬送ができなかった。
    • 宿泊客の中に急病人が出たが、浸水のため病院へ連れて行くことができず、また、夜間のためヘリコプターも要請できず、水が引いてから(豊岡には行けず西側の香住の)病院へ連れて行った。病院へ連れて行くまでは役場が対応した。
旧日高町
  • 危険を伴う救助作業があった。
    • 職員の安全確保を第一とすべきで、危険な作業を要する場合は、現場と本部がリアルタイムに連絡し、指示を仰ぐ必要がある。
旧出石町
  • 殺到する要請に対応不能となった。
  • 携帯電話のエリア外の山間部では、通信・道路の被災により、通報が困難であった。
  • 消防力の低下や孤立地区に対し、近所の協力や消防応援で対応した。
旧但東町
  • 道路寸断により、患者の移送ができないことがあった。

災害時要援護者支援
旧豊岡市
  • 要援護者の避難支援について、関連施設や民生委員に早めに依頼した。
    • 16時~17時頃、入院患者のいる医療機関へ、上の階へ移すよう連絡した(台風23号が初めて)。
    • 保育園は、それより早い時間に、親に子供を引き取りに来てもらうよう手配した。
    • デイサービスセンターについては、昼までのサービスで切り上げた。
    • 在宅の要援護者については民生委員に依頼した。(台風時には通常とる対応で、当日は、民生委員の会議があった。)
    • (在宅の要援護者の)安否確認には、訪問看護ステーション、民生委員、在宅介護支援センター、ケアマネージャー等があたった。
  • 福祉関係者等の情報共有・伝達が十分でないこともあった。
    • SOS対応で、福祉車両を使用して搬送することもあった。
  • 避難所に入所した要援護者のため、様々な生活支援対策を講じた。
    • 避難所によっては、ベットが必要な方のために、調理台(実習台)に板を敷いて簡易ベットが作られた。
    • 常備薬、入れ歯、杖等を持たない避難者がおり、福祉用具の貸出し対応を行った。
    • 和式トイレにポータブルの洋式便座を被せたが、ドアが閉まらないため、ドアをはずしてカーテンを設置することがあった。
    • 聴覚障害者協会からの申出で、聴覚障害者のために避難所の公民館に手話通訳者が派遣された
    • 車イス使用者はトイレが使えないため、医療機関に移送した。
  • 要援護者の緊急受け入れの基準、体制確保が困難であった。
旧城崎町
  • 民生委員も自身の安全確保が手一杯で、要援護者の支援は困難であった。
    • 要援護者の施設は旧城崎町内にはなかった。
    • 老人等、援護が必要と考えられる人の対応については、安全確認の指示が出たが暴風がひどくて民生委員は対応できなかった。ほとんどの人が自分自身の安全を維持することが精一杯なので、ほかの人の世話をする余裕がないというのが実情である。
旧但東町
  • 要援護者対応は、民生委員やケアマネージャーに任せていた。

保健衛生、感染症対策
旧日高町
  • 石灰の調達方法、使用方法の周知が不十分であった。
    • 泥を除けずに石灰を撒いて発酵したとの苦情があった。

廃棄物対策
旧豊岡市
  • 地域防災計画が不十分のため、被災経験のある自治体にやるべきことを確認した。
    • 本部設置前から、地域防災計画の内容を確認していたが、活動内容の記述はわずかで、仮置場を確保する程度のことしか記載されていなかった。このため、(被災経験のある)福井市に被災直後にすべきことを聞いた。
    • 被害(冠水)状況を確認したところ、家庭ごみの収集を始めるどころの状況でないことがわかった。これにより、(社)建設業協会豊岡支部と県に、ゴミ運搬の応援を要請し、日程を調整した。また、仮置場を中核工業団地と但馬空港イベント広場に配置することを検討し、管理者に内諾を得た。
  • 被災者にごみの分別を徹底することは困難であった。
    • 堤防直近の家屋は、泥まみれで、ゴミは全て家の前に排出された。
    • 可燃・不燃の2分別で、炉に直投できるものとできないもの(金属、家具等)にした。通常は6分別だが、2分別をお願いするのも大変で、広報担当者が市民に3時間拘束されることもあった。
    • 災害ごみの分別は、ゴミ処理に係る労力、時間、費用に後々関わってきた。
  • 仮置場の運営・管理は、施設の特性に応じた対応や不法対策も必要であった。
    • 環境パトロール班を仮置場に配置し、6つ(可燃、不燃、木質、家電、畳、タイヤ)に分別した。
    • 仮置場は分別に必要なストックヤードを確保できる広いスペースが必要となった。
    • 但馬空港は24,000㎡あったが、風が強く、滑走路にごみが回らないよう、漁具をかけるとともに、搬入物は重たいもの中心とし、内訳は業務用9割、一般1割であった。
    • 仮置場に産廃業者等が捨てに来ることもあった。仮置き場を長時間開設すると持ち込まれ安いため、開設は1ヶ月間とし、直接持ってくる場合は無料券を発行した。
    • 応援に来た人(パッカー車8台)に地図を渡したが、勘違いがあり、頼んだ場所と違う所に行ったことがあった。場所を案内するには地元職員が必要だが不足しており、大量の応援を要する10日間に人手を投入すれば有効だった。
旧城崎町
  • 応急的な仮置場となったグラウンドにガラスや鉄の欠片が残ることもあった。
旧竹野町
  • 災害に便乗したごみの排出、海岸への大量のごみの漂着が発生した。
    • 家屋被害等が少なかったこともあり、一般家庭ゴミは少なかった。ただし、関係ないゴミ(便乗ゴミ)が多量にでた。
    • 海岸に大量(4,000立方m)のゴミが漂着した。漂着ゴミの対応は一自治体では難しく、広域的な対応が必要である。
    • 仮置場所の確保が必要だった。
旧日高町
  • 道路に出されたごみに対して苦情が殺到した。
    • 洗えば使えるものもあったと思われるが、被災したため、住民に洗う気力が出ず、たくさんの廃棄物があった。
  • 外水による浸水に対しては早めの泥の除去、夏であれば衛生対策等が必要であった。
    • ゴミは分別しなかったが、夏であれば悪臭の可能性もあった。
    • インフルエンザの心配があった。
旧出石町
  • 仮置場の確保・管理、分別の徹底により、廃棄物を効果的に処理した。
    • 区長に依頼して仮置場を確保してもらい、管理職を張り付け、早く片付いたところは引き上げた。
    • ごみの分別は通常と異なる6分類(燃やす・燃やさない+畳、大型家具、大型家電、木製建具)とし、ボランティアにも指示した。被災して殺気だっていた区長から苦情もきたが、手戻りや経費の削減効果等があり、後に理解された。
旧但東町
  • 災害廃棄物は比較的少なかった。
    • ゴミは他地区(旧豊岡市内)と比較して少なかった。町内に仮置後、豊岡清掃センターに持ち込んで処理した。

救援物資
旧豊岡市
  • 必要な物資を送ってもらい、公平に配布することは困難であった。
    • 市民体育館での物資の仕分けスタッフが不足した。ボランティアは活用しなかった。
    • 「水」「服」が送られている事が多く、「ブルーシート」を要望した。
    • 救援物資はとりあえず食料とそれ以外に区分して管理した。
    • 古着というよりボロが送られてきたので困った。
    • 物資を何度も取に来る人や、取に来られない人がいて、物資が行き渡らなかった。
  • 備蓄品をとりに行けなくなるとは想定していなかった。
    • 避難は促したが、(避難所には)毛布が無かった。
    • 但馬空港に毛布を置いていた(県の備蓄倉庫)
旧但東町
  • 住民自身による炊き出しや応援が行われた。

ボランティア対応
旧豊岡市
  • ボランティアセンターを早期に開設したが、ホテルはマスコミに占有された。
    • マスコミ等がホテルを抑えてしまって、当初、ボランティアの宿泊所が不足した。
    • ボランティアに土砂の撤去等を依頼した。清掃用のマスクが不足したため購入した。
旧城崎町
  • 温泉街の印象確保のため、町外のボランティアは受け入れなかった。
旧竹野町
  • 漂着ごみの回収にボランティアが対応した。
旧日高町
  • ボランティアのコーディネート、救援物資の募集・仕分けが困難であった。
    • 1日目にボランティアに弁当を出してしまった。
    • 救援物資の仕分け作業をするボランティア、ボランティアを効率的に手配するコントロールタワーが必要であった。
    • 洗濯する気力がないので、下着、タオルの要請が多かったが、救援物資の古着は使えなかった。
旧出石町
  • ボランティアの対応のマニュアルが必要。弁当を出してしまったり、作業の振り分け等で混乱。
旧但東町
  • 道路の寸断により、ボランティアの移動に支障となった。
    • 但東地区の被害は旧豊岡市内と異なり、知られていなかったため、ボランティア活動が遅れた。
    • ボランティアは宿泊せず、日帰りで来てもらっていた。

教育対策
旧城崎町
  • 通学路は、小・中学生がボランティアとして清掃にあたったが、教育委員会としては、学校教育を優先すべきか、災害復旧を優先すべきか、議論された。
旧竹野町
  • 通行止めにより通学手段の確保が必要となった。
    • スクールバス通学のため、片側通行止めとなった地域のため、通常のマイクロバスより幅の狭いワゴン車を通学手段として確保する必要があった。
    • 学校職員での体制を作る必要があった。
旧但東町
  • 道路の寸断により通学等が困難となった。
    • 保育園等で父母が送迎にこられず、職員が園児と宿泊した。

ライフライン対策
旧豊岡市
  • 水道無線が有効だった。
    • 冠水地域がたくさんあり、どこが通れるか無線機で連絡した。
  • 浸水が引いた直後に、水の一斉使用に対する給水制限、高層建物への給水等が必要となった。
    • 水が引いた後、洗い水で一斉に使用され、配水池が空になり、給水制限した。高台で水が出なくなり、他市応援を得ての給水活動が平成16年10月22日から始まった。
    • 3階以上の高層建物はほとんどが1階にポンプがあり、それが水に浸かって故障し、建物内に送水できなくなった。ポンプの修理は大家さん等が対応したようだが、市内のポンプ業者がフル回転した様子で、大きな市営団地には給水を行った。
    • 当初は個別対応で手一杯で、水道施設の総点検ができなかった。
  • 本部と下水処理場の連携がとれなかった。
    • 処理施設は遠くにあり(4km離れていた)、本部から川の情報をメールで受信していたが、プリントする時間もなく、本部が大変な状況であるという臨場感が伝わらなかった。
    • 電話、パソコン、無線等が不十分で、情報の一元管理ができなかった。
    • 職員は、全員現場に出払って、情報伝達は個人の携帯電話に頼っていた。
  • 生下水は出さず、最低限の下水処理を行った。
    • 屎尿処理場が崩壊し、仮設の脱水機を設置した。
  • 大規模な風水害を想定した電力、通信の備えが不十分であった。
  • 経験と危機意識が減災に役立った。
旧竹野町
  • 停電等により水道供給の支障が発生した。
    • 停電のため井戸からのくみ上げが停止した。発電機を手配したが搬送手段がなかった。
    • 大規模な断水にはならなかったが、節水の呼びかけ後に使用量が増加したことがあった。広報のしかたなどに工夫が必要である。

災害復旧
旧豊岡市
  • 技術系の職員が不足した。
    • 市職員は、設計担当の技術系が少なかったため、庁内の経験者や他市からの応援を貰った。
    • 学校の復旧の査定等は、事務職と技術職とで見方が異なった。災害査定には技術職の視点が必要であり、大災害の場合対応できなかった。
旧城崎町
  • 災害査定に必要な写真撮影が困難であった。
    • 災害復旧事業の査定には、冠水した時の写真など、被害状況の証拠写真が重要であった。これが不充分であると、補助金を削られたり、受けられない場合がある。被害状況写真等を記録しておく必要がある。

水防活動
旧出石町
  • 消防団は、それぞれの判断で水防活動や避難対策を行った。
  • 本川の水防活動は行わず、個別の流入防止策を行った。
  • 決壊した氾濫流の力は凄まじかった。
旧但東町
  • 道路の不通により、役場にのみあった水防資機材を運搬できなかった。

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