3.11東日本大震災震災から2年

他の自治体へのメッセージ

宮古市・災害を乗り越える

 昨年8月、新たに協定を締結した岩手県宮古市の防災ご担当者から、今後の防災への取り組みと他の自治体へのメッセージをお聞きしました。

避難所運営について

 被災直後より避難所が開設され、最大で85箇所の避難所に8,889名が避難をしておりました。被災当初の避難所運営は混乱が続きましたが、徐々に安定していきました。
 これには地域の皆さんとの連携が欠かせませんでした。市役所の職員数が限られており、多くの避難所では地域の皆さんに主体となって運営していただきました。避難所によっては、起床や就寝時間、掃除・炊事当番、朝のラジオ体操の習慣づけなどきちんとしたルールを作って運営したところもありました。
 大災害への対応には、市民、行政の分けへだてなく、ともに一致協力していかなければなりません。行政だけでは限界があり、市民と共同で災害を乗り越えていくための連携を、今後一層図っていく必要があると感じました。

宮古・災害を乗り越える

浸水想定域と防災計画のリンク

 「想定外」という言葉がありますが、実は宮古市のハザードマップの浸水想定域は、今回の津波の範囲と驚くほどに重なっています。しかしこの浸水想定域に防災計画が伴なっておりませんでした。
 地域防災計画は全ての対応・手続き等が上手くいく想定で作成されており、その中の1つがダメになった場合の影響や代替方法など、横断的な部分が弱かった。これを踏まえた大幅な地域防災計画の見直しが大きな課題となっております。

昭和8年の津波記念碑

他の自治体へのメッセージ

  南海トラフ巨大地震対象地域の自治体は、ものすごく不安感に包まれています。しかしこれは必ず来る災害として、対処をしていかなければ ならないものです。東日本大震災は、よく千年に一度の大災害と言われております。しかし実際のところ、昔の記録を見直してみると、1611年に発生した慶長三陸地震と、今回の東日本大震災の津波被害による浸水域はほぼ重なるようです。これを思うと、岩手県沖の大地震とそれに伴う津波の災害は千年に一度ではなく、四百年に一度。明治三陸、昭和三陸大津波を思えばもっと短いのではとも思います。
 今回の津波では避難しなかった方もいたと聞きます。防潮堤を過信したという側面もあったと思います。 もちろん今後、防潮堤などハード面の整備を進める必要はありますが、それと同時に“逃げる”ということをどのように啓発していけば良いか、ということも考えていかなければならないと感じております。

山田町・命を守るために

 昨年7月、新たに協定を締結した岩手県山田町の防災ご担当者から、今後の防災への取り組みと他の自治体へのメッセージをお聞きしました。

山田町のこれから

 山田町の10年間の復興計画では、前よりももっと良いまちづくりを目指しています。最初の3~4年で元の町に戻し“命を守る”ことを念頭にまちづくりを行っていきます。
 明治三陸津波の6・6mを想定した防潮堤、という住民の目に見える構築物を作ったことによって、人々はそれを過信してしまいました。そして今回の大震災で大津波警報が発令され、防災無線で避難の呼びかけを行っても、防潮堤を越える津波は来ないだろう、と避難せずに被災をしてしまった住民が数多くおりました。やはりいくら高い防潮堤を作っても、防潮堤は津波が陸地に到達するのを遅らせる程度にしかならない、ということを認識し、この被災の記憶を風化させないよう、「逃げる」ことを前提として、今後も防災意識の向上を続けてます。

山田町・命を守るために

自治体へのメッセージ

 何を置いても人命が第一なので、まずは逃げることを徹底させる。こればかりは癖をつけないとダメなのです。 警報が鳴ったら本能的に逃げる。繰り返し繰り返しその訓練をするしかない。
 2004年に発生したマグニチュード9・1のスマトラ島沖地震による津波。この津波は結局は日本にほとんど到達せず、被災写真や映像が流れても、次は我が身と受取る方は非常に少なかった。そして今回の地震が起こりました。
 日本で起こったこの地震に伴なう大津波は様々な所に大きな爪痕を残しました。この身近に起こった災害の被災写真や映像は人々の心に強く我が身のこととして刻みこまれました。 今回の災害を教訓とし、全ての地域で自分のこととして防災意識の向上へ取り組んでいって欲しいと、強く思います。

  • コラム

    「何が必要ですか」

 「何が必要ですか」この言葉は私たちも物資を供給する際に使用する事があります。
 この言葉は“役に立ちたい”という気持ちで使っているのですが、取材の中で、この「何が必要ですか」が 被災地域の自治体職員を苦しめる事もある。そんな話をお聞きしました。

 発災後、様々な場面で毎日のように「何が必要ですか」と降りかかってくる電話に憤りを感じていました。
 3月の被災当初必要なものなんて、食料・飲料・毛布・暖房。そんなものでさえ、いくつ欲しいかの情報が必要なのか。やっと物資が届いても、届くのは物資だけ。荷降ろしや仕分け・避難所への配送は被災した自治体の職員だけ。手配をしてくれるのは物資だけなのか。そうではなく、「今この物資がこのくらいありますが、いくつ必要ですか。荷降ろしや仕分けなどで人員は何名必要ですか。」と手を差し伸べて欲しかった。

 ある日、海上自衛隊が町に入り、また「何が必要ですか」と聞かれました。ついに力尽き「何もいりません。今、私に必要なものは、今すぐ出せる物資のリストです。それ以外はいりませんから帰ってください。」と言って追い返してしまいました。しかし、この自衛隊員だけでした。2時間ほどしてから海上自衛隊の船を下りてきて「これが今、うちの船で出せるリストです。」と言って作りたてのリストをくださいました。感動して涙が出てきました。

 災害発生時に必要なものには、物資もあります。しかし、必要な物と数量を聞いて、依頼元に物資を届けるだけで終わりではない。被災地に物資を供給する上でどんなサポートができるのか、協定締結先は何を必要としているのかを、より深く考えて対応していく必要があると再認識しました。