熊本地震
経験のない大地震にどう対応したのか

「心強い支援が必ずある、ということだけは間違いない。」甲佐町くらし安全推進室 室長 清水 明様 「心強い支援が必ずある、ということだけは間違いない。」甲佐町くらし安全推進室 室長 清水 明様
(聞き手)NPO法人コメリ災害対策センター 古澤

防災計画に「完成」はない。経験を踏まえて体制見直しを

まずは甲佐町さんの家屋の被害・復興状況についてお聞かせください。

 家屋の被害は全壊、半壊、一部損壊含めてトータルで約2500棟です。解体済み件数は80件で、進捗状況的には約10%くらいではないでしょうか。解体後のがれきを撤去する場所も必要ですし、長いスパンで考えなければなりませんので、本年度中の完了は厳しいところです。

災害発生時の対応について教えてください。

 地震発生直後、今でいう「前震」の日の夜にただちに対策班を立ち上げ、町内の被災状況と人的被害や実態の把握、避難所の開設を行いました。

「前震」の夜、コメリ災害対策センターに11時30分頃にご連絡をいただいて、夜でトラック配送便が止まっていたものですから、翌朝に水と毛布をお送りしました。そしてその後、今度は「本震」と呼ばれるものが来て

 実は「本震」の前、15日の午前0時3分に、甲佐町ではマグニチュード6.4、震度6強という大きい地震がありました。

15日のものはあまり知られていませんね。

 甲佐町では前震と本震の間の地震の方が、被害が大きかったんです。

県との連携などは?

 発生当初からリエゾンが入り、内閣府、国交省、熊本県、鹿児島県と、かなり早い段階で人的な支援をしていただき心強かったです。職員は百十数名しかおりませんので、人手不足でどうしようもありませんでした。特に避難所の運営については、12カ所開設しましたが、一番多いときは本震のときで1800人近くの方が避難されましたので、そこにほとんどの人手を取られた事で他の仕事が進みませんでした。
他の市町村のある一部の避難所では、避難者の方が自主的に運営に携わって、役場や市の職員は定期的に伺うだけだったと聞きます。教訓ですが、甲佐町としてもそのような運営ができていれば、マンパワーの解消につながったのではないかという気がします。

新潟の震災の時にも、地元の顔見知りの方のほうが食事やトイレなど、色々な部分で気が付くらしく、助けられたというお話をお聞きしました。現在の避難所の状況はいかがですか?

 指定避難所は6月7日に全て閉鎖しました。1カ所だけ自主避難所を開設しましたが、17日には避難所は全て閉鎖しております。甲佐町がなぜこんなに早く避難所の閉鎖ができたのかというと、理由の1つに仮設住宅が早期に設置できたことが挙げられると思います。6月5日には仮設住宅が90戸完成し、県下で初めて入居が始まりました。

早いですね、発生から2カ月で。

 当初から、仮設住宅を作ろうという声が上がっており、県が動きました。ちょうど適当な場所、グラウンドなのですが、確保でき、それが避難所の早期閉鎖につながったのだと思います。

甲佐町被災写真

昼夜を問わず到着する救援物資への対応

避難所が開設された際、避難者の方々の要望は何かありましたか?

 環境改善などの話はあまりなく、ほとんどが日用品の不足についての要望でした。体育館は床だということで、ボランティアの神戸の方が、甲佐町の畳業組合と協力して持ってきてくださり、畳を400枚入れました。皆さん、普段は畳の生活ですので、非常に好評でした。

私どもも毛布等を手配させていただきましたが、そのほかに、どのような供給がありましたか? 物資調達で困ったことなどは?

 物資は調達よりも、とにかく昼夜を問わずどんどんやってくるので、その対応が大変でした。ホールも一杯になってしまい、後からは民間の方々の提供申し込みは断っていました。ただ、当初は物が無いものですから、それは嬉しい悲鳴でした。コメリさんに供給をお願いする頃は、水がない、毛布がない、そのような状況で「あるだけでもお願いします」ということで160枚ほどもらいました。しかし一週間ほどすると、もう物資は間断なく入って来るようになりました。

最初にニュースで見たときは、物がない、という話が大きく報道されていました。

 最初は物資が不足して、一週間位はあちこちから「物がない」という(SNSサイトなどへの)書き込みがあったようです。食事については、東京から届けていただいた飲料水と、JAからの提供でお米がありました。

他に物資調達に関して困ったことはありますか?

 物資が不足して困ったという規模ではありませんでしたが、大量の仕分け作業には労力を費やしました。今でもまだかなりの数が残っていて、この対応も引き続きしていかなければいけません。

私どもコメリ災害対策センターについて、数は少ないものの要請をいただいて、対応等いかがでしたか?

 発生の翌日、すぐ届けてもらい活用できたのは良かったです。発生直後には、公的機関の救援物資もなく、他にそのような所はありませんでした。

微力ながらお手伝いができたことは良かったと思います。その他の団体とは物資を供給する協定は結んでいないのですか?

 災害時の協定を結んでいるのは、甲佐町の建設業界との大規模災害時の支援、それと水道関連の事業者との協定、他にもありますが、「物資の支援をする」という協定はコメリが唯一になります。

この被災をされて、なければいいですが、万が一また災害があった時に、私どもに対して何か要望はありますか?

 こちらの必要とするものについて早期に対応し、届けていただきたい、ということが最大の願いです。ゆくゆくは備蓄しなければならないと思っていた矢先で、何もない状態でしたので、本当に助かりました。

備蓄含め、これからの災害対策、取り組みはどうお考えですか?

 実際災害時にはマンパワー不足でなかなかマニュアル通りにいかずに、機能しなかった部分がかなりありました。
防災計画というものは、完結することはない、完成はないと言われています。「見直し委員会」を立ち上げて、今回の上手くいかなかったという経験を踏まえながら、職員百十数名のマンパワーを補うような本部体制のあり方と、実効性のある計画を立てようと見直しをしているところです。

甲佐町被災写真

全国からの心強い支援、メッセージに感謝

実際に災害を経験してみて、まだ災害を経験したことがない自治体さんにアドバイスはありますか?

 アドバイスというとおこがましいのですが、この大きな震災では「オールジャパン」という気持ちを強くしました。役場だけで物理的に対応できない部分は、他市町村、他県、国、自衛隊などが支援をしてくれ、立ち直る体制を整えてくれたという気持ちです。本当に心強かったです。今後どこかで災害が起きた時には、甲佐町でもできる支援をしたいです。
それに、支援や物資が来る間の対応をどうするのか、日頃から考えておかなければならないという思いがあります。地震発生直後が一番大変で、何をしたらいいのか分からずに右往左往してしまう職員もいました。どのような仕事をするのかを教育し、職員の資質向上もしていかなければなりません。
ただ、心強い支援が必ずあるということだけは間違いありません。「頑張ってください」と一筆添えてあるなど、心温まる支援が沢山ありました。そのようなものをいただくと、職員みんな、元気づけられました。今思い返しても、私も頑張らないといかんな、という気持ちになります。

甲佐町くらし安全推進室 室長 清水明 様 甲佐町くらし安全推進室 室長 清水明 様