熊本地震
経験のない大地震にどう対応したのか

「来るかもしれない」という気持ちで訓練しておいた方がいい。宇土市役所危機管理課 課長 瀧口 卓也 様 「来るかもしれない」という気持ちで訓練しておいた方がいい。宇土市役所危機管理課 課長 瀧口 卓也 様
(聞き手)NPO法人コメリ災害対策センター 古澤

8000食の備蓄が底をつく想定外の大規模災害

避難所の開設や運営についてお聞かせください。

 避難所は14日の夜、11時20分に市内の7カ所を開設しました。余震も数多くあったので、市内の小中学校等16カ所も解放するよう指示しました。
 当初は市の職員が避難所1カ所につき3名で対応していましたが、順次、他県の自治体からの派遣職員に交代して頂きました。その後は民間の会社に避難所運営を委託しました。避難所運営をボランティアに委託すると、避難している方とトラブルがあった場合に、責任の所在が不明確になります。そこを民間の会社に委託契約をして「責任の所在を明らかにした」ということです。

宇土市役所危機管理課 課長 瀧口卓也様(右) 係長 池田忠陽様(左) 宇土市役所危機管理課 課長 瀧口卓也様(右) 係長 池田忠陽様(左)

物資はどのように調達しましたか?

 宇土市が備蓄していた食料が8000食ありました。宇土市の人口が4万人弱なので20%分くらいは備蓄してあったのですが、これほどの大規模な地震は想定していませんでした。指定避難所に避難された方が最大で6500人ほどいらっしゃったので、備蓄品はすぐに無くなりました。支援物資が到着するまでは、協定を結んでいた山崎製パンから優先的にパンを供給していただいて、しのいでいました。
 支援物資は3日目くらいから入ってきました。しかし「水と食べ物が足りない」という発信をすると、情報が全国を回るのでしょうが、いつまでも水なんです。こちらが欲しいものは日に日に変わっていきます。水は現在も大量にあり、消費期限内のものは備蓄しています。

支援物資がまだ沢山残っていると。

 食べ物、飲み物、また毛布が何千枚もあります。20平米くらいの小さい備蓄倉庫を5カ所持っていましたが全然足りませんでしたので、300平米の備蓄倉庫を急きょ立てています。

コメリ災害対策センターに要請された物資の量より、コメリパワー宇土店で買い求められた物資の方が多かったようですが。

 地震発生からしばらくすると、熊本県に支援物資を要望すれば、無料で届くようになりましたので、国からのプッシュ式の他、企業の協賛物資を活用しました。ただ、どうしても数が少ない、今欲しい、例えば避難所からの「蚊取り線香がない」というような、至急必要な物についてはコメリで購入した、ということです。

宇土市被災写真

いざというときのために役所の代替え案を立てておく

今回の災害を体験して、他の自治体にアドバイス等があればお願いします。

 本庁舎が使用できなくなった場合の代替え機能をどこにするのか決めておく必要がある、ということが宇土市から言えることです。地震後は本庁舎に入れませんでしたので、資料が取り出せない、パソコンが一台もない、電話がない、市民との連絡方法も何もないという状況からスタートしました。まず1カ所決めておいて、そこがダメだったら次はどこの施設を使って本庁舎機能を維持していくのか。電話やネット回線をその施設につないでおき、ここがダメならそこの線につなげばパソコン等が使える、というようなことを準備しておけば、今回のような状態にはならなかったと思います。
 あとは起こってみないと分かりません。私たちも東日本大震災の時に熊本地震が起こるなんて、夢にも思いませんでした。失礼な話ですが、どこか他人事でした。やはり日頃から「来ない来ない」ではなく「来るかもしれない」という気持ちで、訓練しておいた方がいい。災害はいつどこにやって来るかは分からないので。

宇土市被災写真